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サッカー観とは

サッカーをする人、見る人、教える人、関わる人全てにはそれぞれのサッカー観があることは言うまでもなく存在するだろう。

では、その正体とは何か、どの価値観がいいのか悪いのか、または正解があるのか…

サッカーにおける価値観とはその人個人のもので、それを侵害することは許されないと私は考える。

ただ、そのサッカー観に少しだけ新たな価値を提供することは許されるだろう。

決して押し付けるものではないし、全ては受け入れる側に委ねられる。



私のサッカー観を語りだすと正直キリがない。あれもこれもと要素ごとにそれぞれの見方があるからだ。

その中で、すべての局面における重要なポイントであり、ブレることのないサッカー観を綴る。



1, サッカーとは得点が全てである。


何当たり前のことを言っているんだと思うかもしれないが、意外とこの部分が曖昧になっている人をよく見かける。


例えば、いいスルーパスを出した人とごっつぁんゴールを決めた人、どちらが評価されているだろう。試合全体を通した話ではなく、局面を切り取った話なら、評価は得点を決めた人にこそ与えられるべきだ。サッカーは点を取るから勝てるスポーツなのだから。


もう1つ例えを出そう。“コーナーフラッグを目指してパスを出せ”という指示を受けたこと、聞いたことはないだろうか。これこそ、得点、ゴールというものを軽視した発言に思える。この指示の背景にどんな事情があるかはわからないが、コーナーフラッグにパスを出しても得点はもらえない。常にサッカーの目標はゴールなのだ。




2, サッカーとはグレーなスポーツである。


経済的な話や、法律に関わる部分は常にホワイトであるべきだ。その部分への疑いは1ミリもない。

ただ、サッカーにおけるグレーな部分は非常に多く存在し、そこを認めずには先に進めない。


ここでも例を出そう。

弱い者イジメは社会では決して許されない。しかしサッカーにおいては、足の遅い選手相手にスピードで勝つことはいじめではなく正義だ。

ファールをすると相手にフリーキックが与えられるが、ファールをしてはならないというルールは存在しない。ファールはルールの中ではしても良い物なのだ。故意に相手を傷つけることは許された者ではないが、勝つためにしたファールは賞賛される。マラドーナの神の手ゴールなどはその例の1つだろう。


つまり、このグレーな部分を受け入れるか拒否するか、実行するかしないかは、勝敗にも関わるグレーと言える。

私はサッカーがグレーであり、多くの矛盾があり、それらは場面によって黒にも白にもなることを理解しているし、肯定している。どれだけ技術が発展しようと変わることのない価値観だろう。




3, サッカーとは熱量のスポーツである。


賛否両論があることは受け入れるが、サッカーは熱量があって初めてサッカーになるだろう。プロの試合、高校サッカー、子供の公園でのサッカーから、休み時間のサッカーであってもだ。

サッカーをする以上、勝つことや楽しみ、喜びや悔しさなど、どこかに必ず熱量があり、その部分への執着がサッカーをより熱いものへ変える。

時代、場所、関わる人間の数や方法が変わっても、サッカー熱量がある事実は不変だ。

そして、更なる熱量を持ったものには他の人が見れない景色がきっと見えるだろう。




ここまで、私の持つサッカー観を綴ったが、あくまでこれらはベースであり、全てではない。さらに、他人からの共感を求めたり、この価値観を押し付けたりもしない。


ただ、新たな価値観や情報は常に進化の過程には必要だと考える。

今後、この記事を読んだ誰かが、新たなサッカー観を持って、私に提供してくれることを願っている。

 
 
 

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